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社会で役割をいただいている幸せを、仕事でお返しする責任がある


社会で役割をいただいている幸せを、仕事でお返しする責任がある

人はそれぞれに地域や社会と、濃淡はあれど何らかのつながりを持って生きています。その中で、特に大きな役割を担っている立場の人には、当然それ相応の責任が伴います。

「役割をいただている」という表現がポイントです。「役割を果たしている」とか「その立場に居る」ではなく「こんな私が」という謙虚さを感じるのです。

万全ではなくても一定の体力や生活環境、機会をいただいている自分だからこそ、地域で、社会で何かお役に立てないか、という考え方こそが成熟した社会の市民感覚なのでしょう。

そして、その考え方や行動が大きく広がりつつあることを、災害時のボランティア活動は示しています。その背中から、謙虚さと熱意を併せ持った「本当の強さ」を感じるのです。



◯◯が無いから出来ない、という人は往々にして◯◯があっても出来ない


◯◯が無いから出来ない、という人は往々にして◯◯があっても出来ない

吹田市に50代の全盲男性がおられます。会社勤めの傍ら、フルマラソンを2時間半程度で走り切り、昨年まで全日本のパラリンピック強化選手でした。時々お会いする彼はいつも笑顔。そのお姿を前にすると、私は何の言い訳もできなくなります。

あの多忙な山中伸弥教授はマラソンランナーです。「時間が無いから運動出来ない」との弁解は通用しません。そう決意してトレーニングやエクササイズを続けて1年半、やれば出来るものです。

私達は、他人の言い訳に対しては敏感ですが、自分に対しては自身の弱く大切な心、小さな自信やプライドを守る為に感度を落としています。その防衛本能は否定されるべきものではありませんが、改めてこの言葉は心に刺さります。



あちらを立てればこちらが立たず


あちらを立てればこちらが立たず

何かを決める時、あちらにも、こちらにも、同時に喜んでもらうことは簡単ではありません。それは市政運営において、本当に難しいことです。37万市民それぞれに異なる生活状況や考え方、要望、希望があります。できる限りその全てにお応えしたい、私の正直な気持ちです。

様々な制約の中で、多様な市民ニーズにお応えするには、着手する施策の優先順位を見極め、必要な経費の平準化を図り、スケジュールを見定めなければなりません。そのチューニング(調整)技術と説明能力こそが市長に不可欠であると実感しています。

「市長は、市民の願いを現実に近づけるプロのエンジニアたるべし」という言葉を座右の銘のひとつにしています。



「多様性」を「認める」


「多様性」を「認める」

「多様性」という言葉を頻繁に目にします。その反対は「同一性」でしょうか。一人ひとりが多様ですね、ということならいいのですが、「多様性を認める」という言葉からは、ある同一性を持った「標準・普通」の集団が、それと異なる存在に違和感を持ちながらも寛容さを持って認める、という立ち位置が垣間見られます。

「男、女」「日本人」「体育会系」「都会人」「年代」などと、人はカテゴライズ(分類)しがちですが、その枠に収まらない人を「普通とは違う人」と無意識に別物扱いにしてしまう危うさを感じるのです。

とはいえ、社会は個人の尊厳に対して少しずつでも敬意を払うようになってきました。
私も簡単に「普通は…」と口走ってしまいがちです。そこで、そう思った時には話す前に必ず一呼吸置くように心がけています。



福祉社会というものは、ヒトの人たる根本価値、すなわち「命」「愛」「豊かさ」「幸せ」「正義」という定量化出来ない変数で成り立っている


福祉社会というものは、ヒトの人たる根本価値、
すなわち「命」「愛」「豊かさ」「幸せ」「正義」という定量化出来ない変数で成り立っている

経済的な数値指標によって、社会を分かりやすく語る言葉を額面どおりに受け取っていませんか?社会はそれほど単純ではありません。市場原理や経済原則の、社会的、環境的未熟さに気づき、修正を重ね続けることで、初めて持続可能性という概念が見えてきます。

シンプルに言うと、私たちの日々の行動は金銭価値によってのみ決めているわけではない、ということです。

「費用対効果」や「生産性」「効率性」という生産現場の用語を、くらしの現場に持ち込んで「すべての価値基準」を論ずる人はいつの時代にも存在します。それに違和感を覚えるセンサーの感度を常に高めておきたいものです。



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